AV女優「つかもと友希」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】

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AV女優「立花里子」の魅力を徹底解剖【2020年最新版】デビュー前から現在までを丸裸に!
美少女を超えた超少女と謳われていたAV女優・つかもと友希。最初の引退から復帰した後は、その性欲を爆発させ、全てを解放したかのようなメスの姿を披露してくれたAV女優です。AV以外にも歌手活動やストリッパー、女優としても活躍した経歴も持っています。今回はそんなつかもと友希をデビューから現在まで徹底的に調べてみました。

AV女優「つかもと友希」のプロフィール

生年月日 1970年8月26日
出身 広島
スリーサイズ B:83cm(Dカップ),W60cm,H81cm (2004年時点)
女優タイプ レジェンドAV女優
総出演本数 228本
受賞歴 なし
現在 引退後、デリヘル嬢
1988年AV女優としてデビューしたつかもと友希。デビュー当時は牧本千幸という名前で、活動し、その後も何度か名前を変えながら活動していました。1度1990年に引退したものの7年の時を経て復活。その後、2012年に2度目の引退をしています。引退した後にAV女優に復帰する人は多いですが、なかなかこれだけの期間休養して復帰するAV女優はいません。 身長は153センチで小柄なのですが、デビュー当時から妖艶でキリっとした印象のあるルックスが魅力的。色気を身にまとったようなビジュアルは、年齢よりもずっと大人っぽい雰囲気を醸し出していました。目鼻立ちがかなりクッキリしており、派手なメイクがもシンプルなメイクも映えるルックスです。 小柄でスレンダーにも関わらず、おっぱいは83センチ、Dカップという巨乳。乳首も乳輪も小さすぎず大きすぎず、どんな男性にも受け入れられるタイプの美しさです。デビュー当時はDカップのおっぱいだったのですが、1997年に復帰して以降は徐々におっぱいが大きくなっていっているように感じます。豊胸疑惑も出たのですが、若い頃に比べると全体的に豊満になっていたので、そのせいで大きく見えた可能性も高いです。 牧本千幸でデビューした当時は、かなりソフトなプレイに留めていましたが、1997年に復帰してからはどんどん激しいセックスをするようになりました。デビュー当時のソフトなプレイは、激しいセックスが好きな人には物足りないかもしれませんが、圧倒的な美しさの持ち主なので、ソフトなプレイでも十分に楽しむことができます。 つかもと友希がデビューした1988年頃は、美少女AV女優に人気が集まっていた頃です。今のように整形したAV女優もまだ少なかったため、つかもと友希ほどの美少女はなかなかいませんでした。当時人気だったアイドルよりも綺麗なルックスで、一躍人気のAV女優に躍り出ます。 牧本千幸としては3年弱の活動で引退してしまうのですが、1997年に再デビュー。この時からつかもと友希名義で活動しています。7年の時間が経っていましたが、パッケージを見た人がすぐに「牧本千幸だ」と特定できてしまうほど、美しさは衰えておらず、往年のファンが歓喜しました。圧倒的な美しさは変わらず、新規のファンも一気に増えています。 復帰してからは牧本千幸名義の時とは違い、激しくど変態なプレイを披露するようになります。フェラのテクニックも格段にアップし、攻めで痴女を演じたかと思うと、受けでドMな姿も見せるようになりました。同一人物とは思えないほどのセックスの進化に驚きを隠せなかった人も多いでしょう。 プレイスタイルだけでなく出演ジャンルもかなりバリエーション豊富になり、今まで見せなかった姿を披露するようになっていきます。出演していないジャンルがないのではないかというほど様々な作品に出演し、年齢を重ねたこともあって人妻・熟女ジャンルにも出演していきました。 復帰してからも人気は高く、このままレジェンドAV女優として走り続けていくものと思われていたのですが、2010年9月を境に公式のTwitterアカウントのツイートがストップしてしまいます。その後2011年5月にツイートするのですが、実は2009年頃から橋本病という病気になっていたことがわかっています。 完治に向けて治療を続けながら仕事をしていたようなのですが、2012年7月頃に入院するかしないかギリギリの状態であることを公表しています。2010年にリリースした作品を最後にフェードアウトするようにAV界を去っているのですが、その後は広告代理店でのアルバイトを経て風俗店に勤務しているようです。 ブログやTwitterは引退後も引き続き続けているのですが、現在もまだ闘病中のようです。病気が完治すればAV女優復帰もあるかもしれません。風俗店も在籍はしていますが、体調を見て出勤しているようです。またAVでつかもと友希を見れると嬉しいですが、まずはしっかり病気を完治させて欲しいですよね。

AV女優「つかもと友希」の重要トピック5選|デビューから現在まで

デビューしてからは20年以上の時間が経っているつかもと友希。病気と闘いながらAV女優としても活動してきた波乱万丈な人生を歩んでいます。それではつかもと友希のデビューから現在までのエピソードを紹介しちゃいますよ!

1998年「牧本千幸としてAV女優デビュー」

1998年に宇宙企画から「超少女ちゆきが行く」でデビューしたつかもと友希。当時は牧本千幸という名義でデビューし、宇宙企画の専属AV女優の中でもイチオシ”宇宙少女”としてのデビューでした。実はデビュー前には雑誌のグラビアも務めていたので、グラドルからAV女優への転身だったんですね。 美少女AV女優ブームが起き、続々と美少女がその裸体を惜しげも無く見せるようになりましたが、当時つかもと友希だけは美少女ではなく超少女と呼ばれていました。美少女では表現しきれないほどの美しさだったんですね。当時の写真は残念ながらあまり残っていませんし、残っていても画質が荒いものが多いのですが、今見ても本当に美しいです。時代を感じさせないルックスで、今の時代でも十分に通用する美貌の持ち主でした。 そんなつかもと友希がAV女優としてデビューしたきっかけですが、なんと騙されて業界入りしてしまったことをTwitterで公表しています。AV女優のデビューの理由はいろいろあり、芸能界へのデビューを約束されてAVに入ってしまった…という人もいますが、なかなかつかもと友希ほどはっきりと「騙された」と告白した人はいません。 もともとグラビアアイドルとして雑誌の紙面を飾っていたつかもと友希。本人としては全くAV女優になるつもりはなかったそうなんですが、脱ぐという話は一切聞かされないままスタジオに連れて行かれたそうです。現場にはスタッフが勢揃いしていて、「やめます」とは言えない状況になっていたそう。誰にも文句を言うことができず、あれよあれよと言うまにAV女優になってしまったそうです。 牧本千幸時代はあまりプレイにも積極的ではなく、ソフトな絡みしかなかったつかもと友希。本人としては気持ちが全くついて行っていなかったのかもしれませんね。実際に見てみるとわかりますが、牧本千幸時代は定番のプレイがほとんどで、激しいプレイは一切ありません。しかし超少女と呼ばれるほどの美しさが最大の武器となり、ノーマルなプレイにも関わらずかなり人気が高かったです。 その後、1990年4月に宇宙企画からリリースした「毛糸のパンツ」を最後にAV業界を引退しています。2年弱の活動期間で、リリース本数はたったの7本でした。本人が騙されてAV女優になっていることを告白しているくらいですし、乗り気ではなかったことは言うまでもありませんよね。 つかもと友希が牧本千幸としてデビューした1988年にデビューしたAV女優には、松本まりな、豊丸、 伊藤さやか、葉山レイコ、結城ゆかりなどがいます。美少女ブームだったとは言え、まだまだAV女優としてデビューする女の子は少ない時代でした。来るべき1990年のAVバブルに向け、メーカーは徐々に増えていましが、今に比べると年間を通しても10分の1程度のAV女優しかデビューしていません。

1997年「つかもと友希として再デビュー」

ちょうどAVバブルが始まった1990年に牧本千幸としてのAV人生に幕を閉じたつかもと友希。それから7年後の1997年、つかもと友希に改名して再デビューします。この時つかもと友希は27歳になっていました。騙されてAV女優になり、2年間の活動でたった7本しかAVに出演していなかった彼女がAV業界に復帰したのは、かなり大きな衝撃だったようです。 何度も引退と復帰を繰り返すAV女優は多いですが、引退から復帰まで7年の期間を要しているようなパターンも珍しいですよね。27歳と言えば女性としても色気が増し、脂が徐々に乗り始める年齢ですよね。美しさは変わることなく、大人っぽさを身につけたつかもと友希は復帰とともに大ヒットします。 牧本千幸時代はかなりソフトで消極的なプレイで知られていたつかもと友希。しかし、1997年に復帰してからはかなりハードなプレイにも挑戦するようになっていきます。あまりにも違うプレイスタイルに、往年のファンはかなり驚きました。休業している間にいろんな経験をしたのかもしれませんね。 舌を絡めた濃厚なフェラや、マンコをカメラに見せつけるようなポーズ、そして激しく喘ぐ姿など、7年前のつかもと友希とは全く別人のプレイスタイルで、多くのファンを魅了しました。ドMな一面を見せたり、レズプレイをしたり、コスプレをしたりと設定のバリエーションも増え、30代に突入してからは人妻、未亡人、義理の母など熟女系ジャンルの定番とも言える作品にも挑戦しています。 また1997年頃には、瞳リョウと「PPP(スリーピー)」と言うユニットを組んで歌手活動もしています。今でこそ恵比寿マスカッツが存在していますが、当時はまだAV女優がアイドル活動をするのは珍しかった時代です。つかもと友希の可愛さがあれば、芸能活動をしちゃうのもある意味当然ですよね。 またあまり知られていないのですが、復帰から2年後の1999年にはストリッパーとして浅草ロック座の舞台に立っています。ただつかもと友希にストリッパーはあまり向いていなかったのか、あまりいい評判はありませんでした。もちろん生でつかもと友希の裸を見れるチャンスではあったのですが、お客さんへのサービス精神がイマイチだったようです。

2005年「つかもと.友希に改名」

 
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復帰以降、デビュー当時とはまった違うプレイスタイルで、ファンだけでなくAVマニアに嬉しいサプライズをくれたつかもと友希。好調に活躍していたのですが、2005年に「つかもと.友希」に改名します。全く変わっていないように見えますが、ドットがプラスされているんですね。 なんでドットをつけたんだろうと、純粋に疑問を抱いてしまいますが、当時は芸能界でも芸名にドットや。をつけるのがブームになっていた頃なんですよね。このドットや。をつけることで画数が変わり、開運が期待できると言うものでしたので、つかもと友希もその効果を期待していたものだと思われます。 実はそもそもつかもと友希は再デビューを飾る時、つかもと勇希としてデビューする予定だったそうです。これは本人がブログで明かしていたのですが、なんらかの手違いで勇希ではなく友希になってしまったんだそう。芸名なのでいくらでも変えることができそうですが、そういうミスもあるんですね。なかなか聞かないエピソードです。 つかもと友希の場合は、圧倒的な美貌を持っているので、芸名の漢字がなんであろうとヒットは約束されたようなものですよね。本人的には勇希と言う漢字に思い入れがあったのかもしれませんが、結果オーライではないでしょうか。 2008年にはデビュー20周年を迎え、一時的に牧本千幸に名義を戻していますが、その後すぐつかもと.友希に戻っています。7年間活動していない時期があるとはいえ、20年の時を経ても美しいままと言うのは本当にすごいことですよね。

2012年「AV女優を引退」

復帰以降2007年まではハイペースでAVに出演していたつかもと友希。しかし、デビュー20周年を迎えた2008年はオリジナル作品は3本しかリリースしていません。2009年に関しては新作のリリースは全くなく、2010年1月にリリースした「STAR FILE」以降は、まったくAVに出演していない状況が続いていました。ファンの間では飛んでしまったのか…と思われていました。 2010年8月頃には六本木にあるキャバクラ・@バージンに出勤していたこともわかっています。AVができない代わりにキャバクラ嬢として働いていたのでしょうか。出勤している情報に関しては、ブログにも本人がアップしていたので、客寄せのための名前貸しではなく実際に出勤していたようですね。 しかしそれまで頻繁に更新していたTwitterも2010年9月以降止まってしまい、引退は確実だと思われていたんですが、2011年5月に突然「戻ってきたなう」とツイートします。ファンとしては、AV女優として戻ってきたものだと思っていたのですが、その後ブログで、2009年から橋本病を患っていたことを告白します。 橋本病は疲れやすくなったり無気力になったりと、日常生活にも大きな影響を与える病気だそうです。2008年がデビュー20周年のメモリアルイヤーだったにも関わらず3本のAV作品しかリリースしていないのですが、おそらくこの頃から病気は発症していたんでしょうね。 2009年に発症していることが判明したと言うことですから、2009年に全くAV作品に出演していなかったことも納得です。そんな病気を患っている中、2010年に新作をリリースしたのは、かなり大変だったのではないでしょうか。本人としては体調が戻ればAV女優として完全復帰するつもりだったのかもしれませんが、2012年にはかなりギリギリの状態であることをブログで伝えています。 2011年にはつかもと友希初となる無修正動画も解禁しているのですが、こちらはいつ撮影されたものかはわかっていません。無修正動画のタイトルは「女熱大陸 File.022」です。オナニーシーンでモザイクなしのマンコがバッチリ見れちゃいます。またフェラシーンもモザイクが外れているので、つかもと友希がどんな感じでチンコに舌を這わせているか見ることができますよ。 その後もなかなか快方に向かわなかったのか、2010年1月にリリースした「STAR FILE」を最後にひっそりとAV界を去ってしまいました。病状がよければ引退作品や引退イベントなども行えたのでしょうが、そういったものも全くなく、レジェンドAV女優としては少しさみしい引退となっています。 引退後は「ほぼ無職のようなもの」と言いながらも、広告代理店でアルバイトをしていたことを明かしています。2012年の段階で入院するかどうかのかなり厳しい状況だったようですから、アルバイトといえど体調的にはかなり厳しい時期だったのではないでしょうか。

2014年「風俗店で働き始める」

 
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引退後もブログを続けていたつかもと友希。2014年6月にはブログで夜のお仕事をスタートすることを報告しています。そのデリヘルとは渋谷にある「渋谷ポアゾン倶楽部」です。この渋谷ポアゾン倶楽部は、渋谷で一番多くAV女優が在籍するお店と言う謳い文句で営業しているのですが、当初つかもと友希は「ゆうか」と言う名前で在籍していました。 実際につかもと友希を呼んだ人もいて、まったりとしたサービスでエロさは100点満点だったそう。あのつかもと友希と実際にAVのようなプレイができちゃうなんて、夢のようですよね。2020年現在はこの「渋谷ポアゾン倶楽部」につかもと友希の名前でプロフィールが載っています。 しかし2019年6月6日に更新されたブログのタイトルは「入院生活」となっていることから、現在もまだ闘病中で、デリヘルには出勤できていないようです。このブログはアメブロのメンバー限定で閲覧できるようになっているので、どんな内容が気になる人はメンバー申請してみましょう。おそらく体調を見ながら出勤しているのではないでしょうか。 発症してから10年近くが経っていますが、入院すると言うことはまだあまり良くなっていないんでしょうね。AVに復帰して欲しい気持ちもありますが、多くのファンが早く病気が良くなって欲しいと祈っています。

AV女優「つかもと友希」プライベート生活を丸裸に!SNS画像・動画を紹介

超美人AV女優として活躍しながらも病魔と闘い続けているつかもと友希。そんな彼女はプライベートでどんな生活を送っているのでしょうか。つかもと友希は2010年からTwitterアカウントを持っていて、現在もそのアカウントを見ることはできるのですが、2015年以降ツイートはされていません。またそれらのツイートもブログ更新のお知らせが多いです。 そして現在も更新を続けているブログですが、いたずらや冷やかし防止のために鍵アカウントの状態になっています。申請をしてつかもと友希が承認してくれれば内容を見ることができるのですが、必ずしも承認してくれる訳ではないようです。ファンであれば可能性はありますから、気になる人は申請してみましょう。 いくつかは鍵がかかっていない投稿もあるのですが、病状が良くないことが窺える内容が多いです。そんな中でも大好きなサッカー観戦を楽しんだり、2019年1月には牡蠣を食べに行っている投稿などもあり、病状がいいときは普通に生活できている ようです。 現在も更新を続けているブログはアメブロで、2012年6月からスタートしているのですが、現役中に更新していたブログもまだ残っているので見ることができます。プライベートショットやすっぴんも見ることができるので、ファンは必見ですよ! こちらはつかもと友希の過去の写真をまとめた動画です。デビュー当時のものから、復帰後のものまであるので、時代を感じさせる写真もたくさんあります。髪型やファッションなどは時代を感じさせるものも多いですが、どのつかもと友希もめちゃくちゃ可愛いですよ。

AV女優「つかもと友希」のセックス事情やプライベートの噂は?

現役時代にはインタビューなどはあまり受けていなかったのか、本人発信の情報が中心となっているつかもと友希。どんな性癖を持っていたのか気になるところですが、そう言った話題に関してはあまり触れられていませんでした。 デリヘルのプロフィールによると、つかもと友希の初体験は16歳の時だったそうです。性感帯は乳首、得意なプレイはパイズリだそうなので、デリヘルに復活したらぜひその辺りを攻めたいですよね。ちなみにSとMは半々だそうなので、AVで見せていたようにどちらもできちゃうんですね! 恋愛に関してですが、実はつかもと友希は芸能人とスキャンダルが出たことがあります。相手はBlack Acid Cherryのyasuでした。何がソースかはわからないのですが、ちょうどつかもと友希が「PPP(スリーピー)」と言うユニットを瞳リョウと組んで、歌手活動をしていた頃の情報です。yasuの好きなタイプにつかもと友希が挙がったこともありましたし、接点はあったと見て間違い無いでしょう。 またつかもと友希自身も相手の名前は書いていないのですが、「元カレ」と言うタイトルで、ブログを書いたことがあります。そのブログで、Twitterやホームページを見て頑張ってるなぁと思っていると書いていたので、yasuかどうかはわからないものの相手は芸能人だったんでしょうね。 火のないところに煙は立たないですし、つかもと友希とyasuにはなんらかの関係があったと見て間違いないのではないでしょうか。あれだけの美貌を持っていたAV女優ですし、芸能人と付き合っていてもなんら不思議ではないですよね。

AV女優「つかもと友希」のオススメ動画5選

それでは最後につかもと友希のオススメ動画を紹介します。長年AV業界で活躍したつかもと友希の動画を牧本千幸時代から見返すと、つかもと友希の成長と女性として花開いていく様子が感じられます。

「夢見て千幸」2002年

牧本千幸時代にリリースしたつかもと友希のデビュー4作目です。当時は宇宙企画の専属AV女優として活躍していました。騙されてAV女優になってしまったつかもと友希は、この頃はかなりソフトなプレイに徹しています。後に見せるど淫乱な姿が嘘のように、控えめな姿はちょっと拍子抜けしてしまうかもしれません。 ただ当時から言われていたのですが、超少女との呼び声が高かったつかもと友希の可愛さを見るだけでも十分満足できる作品に仕上がっています。口コミでも「とにかくつかもと友希が可愛いから許せる」との声が多く聞かれる作品です。プレイや演出としては特に面白みがないので、つかもと友希の可愛さとソフトなイチャラブ系の絡みが見たいと言う人におすすめします。ただナチュラルな魅力に溢れていて本当にとにかく可愛いので、一度見ておいて損はないでしょう。 学園恋愛ドラマのような展開で、つかもと友希を中心に色々なドラマが展開されていきます。演技力も当時はあまり高くないですが、まだデビューして間もなかった頃ですし、大目に見てあげましょう。つかもと友希のファンじゃないと言う人にとっては、かなり物足りないかもしれません。ただ、彼女のルックスが好きだと言う人にとっては、めちゃくちゃ堪能できちゃう作品です。セックスの描写も下品ではなく、かなり綺麗に描かれています。 夢見て千幸

「義母の癒し つかもと友希」2005年

つかもと友希名義に変更し、復帰してからの作品です。1980年代の頃と違ってかなり艶っぽい女性に成長しています。牧本千幸時代の作品を見て落胆してしまったと言う人も、この作品には文句の付け所がないでしょう。かなり激しいプレイを得意とするようになり、我を忘れたかのように乱れる姿は以前とは別人です。 お人好しだけど見た目は怖い刑事が仕事に訪れるバー「さくら」。そのお店でママを務めているのがつかもと友希です。刑事は妻と死別しているのですが、ある日ヤクザにれいぷされていたつかもと友希を助けます。その日から思いを通わせるようになったつかもと友希と刑事。刑事には前妻との間にできた息子がいるのですが、その息子がつかもと友希の体を狙い始めます。 よくありがちな近親相姦モノなのですが、再婚した後の刑事の喜び具合が伝わってくる分、自らの息子に寝取られてしまっていることに興奮してしまいます。また、息子に襲われるだけではなく、再びヤクザも現れてつかもと友希を襲います。夫となった刑事との幸せで濃厚なセックスとそのほかのセックスの対比が見事です。 義母の癒しとあるので、近親相姦シーンが多いのかと思いきや、ヤクザによるレイプシーンがかなりいい仕上がりでたまりません。ヤクザを前に意に反して服を脱ぐしかなく、無理矢理オナニーさせられるのですが、次第にそのテクニックに溺れて自分で激しく腰を振ってしまうんです。どんどん快感の波が押し寄せ、激しく喘ぎながらイキ狂う姿が最高です。 義母の癒し つかもと友希

「美熟女 Venus Portつかもと友希」2007年

まだ熟女と呼ぶには見た目も若く、美しすぎるつかもと友希ですが、この作品ではセレブマダム役を好演しています。あの特命係長 只野仁にも出演したつかもと友希は演技力もアップしているようですね。普段はおしとやかに気品を身にまとって過ごしているマダム・つかもと友希には、男娼館に出入りすると言う隠れた趣味があります。 お気に入りの男娼がいるのですが、その男娼がいない時は支配人とも交わってしまうと言う痴女っぷり。新人の男娼がやってきて、粗相をしてしまったらSっぷりを発揮して、逆らうことのできない新人男娼をこれでもかと痛めつけます。いやらしい顔でチンコを舐めたかと思えば、発射寸前で極限まで焦らすのですが、その時の表情がたまりません。 ある日男娼館で開催されたSMパーティーに誘われたつかもと友希。その魅力にすぐにハマってしまった淫乱なマダムは、その日をさかいにSMの虜になっていきます。盛りのついたサルのようにチンコを求め、イキ狂う姿が最高です。お気に入りの男娼のチンコは愛でるように見つめながらも、しゃぶりついて勃起させ、自分を気持ちよくさせるように腰を振っておねだりしちゃいます。 SMプレイでは普段の痴女感が嘘かのようにいたぶられることに快感を覚えてしまい、体にロウソクを垂らされただけで感じてしまう変態具合です。おもちゃでなんどもイってしまい、マンコがグチュグチュに濡れると、今度は攻めに回って2本のチンコをフェラ。その後2本のチンコに攻めてもらい、醜態を晒しながらもなんどもイってしまいます。 美熟女 Venus Portつかもと友希

「THE REAL DOCUMENT つかもと.友希」2007年

つかもと友希のハメ撮りドキュメントです。こういったドキュメント作品はつかもと友希にとって、初めてとなっています。設定がしっかりしていてストーリー性の高い作品も最高なのですが、こう言うつかもと友希の素が垣間みえてしまう作品も興奮しますよね。 つかもと友希はプライベートのセックス事情などの情報が流れてこないので、この作品を見ていると「つかもと友希は普段はこうやってセックスしているのかなぁ」と妄想が止まりません。セックスシーン以外のプライベートシーンでは、AVでは見せないナチュラルな笑顔がたまりません。 つかもと友希が得意とするテクニックの一つフェラシーンが多く、ねっとりとチンコを舐める様子が最高です。結構な巨チンが登場するのですが、その全てを舐め回すような舌遣いにはゾクゾクしてしまいます。またバックシーンでの腰からお尻の曲線がめちゃくちゃ綺麗で卑猥です。どんどんいい感じに体が熟れてきていますね。 ドMの変態女か上から目線の痴女のどちらかの役が多かったつかもと友希。しかしこの作品では、いやらしさはキープしつつも可愛さも全開で迫ってきます。普段はとにかく淫乱なプレイに終始しているつかもと友希ですが、こう言う可愛い表情も今もできるんですね。つかもと友希を彼女にしているかのような気分でオナニーを楽しんでください。 THE REAL DOCUMENT つかもと.友希

「美女マゾ愛奴 友希 つかもと友希」2009年

つかもと友希を徹底的に陵辱して、その本性をあらわにするという作品です。デリヘルのプロフィールでSとM半々と話していたつかもと友希ですが、本当に両刀使いなんでしょうね。M字開脚するように緊縛され、そのままローターで犯されるシーンからスタートです。腕は自由が効くのですが、あまりのローターの刺激の気持ちよさに自分で胸を揉みながら一瞬でイってしまいます。 その後も終始縛られたままストーリーが展開していくのですが、あの熟れた体に食い込む麻紐がめちゃくちゃいやらしいです。そして陵辱されていることを快感に感じているのか、恍惚とした表情を浮かべながら腰を浮かせてイキまくる姿を見ていると、チンコをシコる手が止まりません。 バイブを突っ込まれたままフェラするシーンがあるのですが、感じながらも最高のテクニックを披露するあたりさすがトップAV女優です。フェラが終わってバイブを抜かれると、糸を引くほど女汁が滴っています。なんども「気持ちいい」を連発しながら、痙攣してイキ狂う姿は真性のドMですね。これでSもできちゃうんですから最強すぎます。 そして最後はつかもと友希のアナルを解放。これが初めてのアナルファックです。初めてアナルに感じる快感に最初は痛みを感じていたものの、ローソクで攻められながらアナルにバイブを突っ込まれると、小刻みに痙攣しながらイってしまいます。その他にも目隠しプレイで視覚を塞がれいつも以上に興奮して、ただのメスに成り下がる姿を見ていると股間が疼いて仕方ありません。 美女マゾ愛奴 友希 つかもと友希

まとめ

1980年代にAV女優としてデビューし、一度引退を挟んだものの2010年代まで活躍し続けたAV女優。年齢を重ねても衰えない美しさは、超少女と言われていただけありますよね。現在は橋本病の闘病をしていて、なかなか改善していないようですが、病気が治ったらAVでも風俗でも復帰して欲しいですよね。回復を祈りながら復帰を期待しておきましょう! ◯つかもと友希に似ているAV女優の関連記事 ・AV女優「滝川ソフィア」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】AV女優「水咲カレン」のデビュー前から現在までを丸裸に【2020年最新版】